今回は、木村 拓哉(きむら たくや)が火付け役となり、髙橋 吾郎(たかはし ごろう)が作ったアクセサリーの王様goro’s(ゴローズ)について紹介する

木村 拓哉(きむら たくや)を筆頭に有名人の着用をきっかけに、様々なジャンルの有名人が着用したことで長く愛されているアクセサリーの王様goro’s(ゴローズ)となっている

最近ではEXILE(エグザイル)のメンバーの一人TAKAHHIRO(たかひろ)や人気YouTuberとして今一番勢いのあるコムドットのメンバーの一人ひゅうがも着用されている

EXILE(エグザイル)とコムドットは両者ともかなりファッションに影響を及ぼしているグループとして知られている

画像はないが、他にもジャニーズや芸人などのファッション好きな人が多数着用されている

男性ファンが多いgoro’s(ゴローズ)だが50代〜20代の方達にも知られているブランド

髙橋 吾郎(たかはし ごろう)とgoro’s(ゴローズ)の歴史について徹底考察していければと思う

髙橋 吾郎とgoro’sの歴史とは

髙橋 吾郎(たかはし ごろう)とgoro’s(ゴローズ)歴史について紹介する

髙橋 吾郎(たかはし ごろう)は10代から革に彫刻を施す才能を発揮し、1956年、東京の駒込でレザークラフトgoro’s(ゴローズ)を設立

その歴史をスタートさせた

60年代はベルト、バッグなどを中心にレザーカービングを施した革製品を数多く手がけ、60年代後半よりオリジナルの真鍮製バックルや金具などの製作を開始

アトリエを構えていた南青山のセントラルアパート2Fで、その後の世界をリードする多くのファッションデザイナーやアーティストとも交流が拡がる

シルバーアクセサリーやレザークラフトの創作活動に没頭する日々を過ごすようになっている

1972年、表参道にショップgoro’s(ゴローズ)をオープン

かねてからアメリカのインディアン文化に傾倒し、幾度となくアメリカへの旅を繰り返していた

髙橋 吾郎(たかはし ごろう)は、サウスダコタ州を拠点とするラコタ族と出会い、彼らと生活を共にする中で多くのことを吸収した

その後、厳粛なネーミングセレモニーによって、インディアンネーム「イエロー イーグル」を拝受

さらに1979年、ラコタ族の神聖な儀式「サンダンス」を受けるまでの信頼関係を結び、日本人初のインディアンになった

70年代当時「セレモニーで使ったイーグルのフェザーは、本物だから持ち歩けない

ならば、自分の手で、シルバーで作ろう」と考えたことが、その後goro’s(ゴローズ)の代名詞となるシルバーのフェザー誕生に結びついた

イーグルはインディアンネーム「イエロー イーグル」であり、髙橋 吾郎(たかはし ごろう)ごろにとって最も大切な創造の中心的存在のモチーフ

その後も独自に生み出した手法とアイデアによって、オリジナルのイーグルのペンダントやフェザーなど数々の代表作を世に送り続けてきた、ライフワークの原点のひとつなのだ

髙橋 吾郎(たかはし ごろう)とgoro’s(ゴローズ)は、日本におけるインディアンジュエリーの草分け的存在であり、これまで「のれん分け」をした事実はない

また、彼の魂といえるgoro’s(ゴローズ)の作品群は他の誰にも継承することもなかった

創業時より髙橋 吾郎(たかはし ごろう)が「ゴローズファミリー」と呼び、信頼していた代々のゴローズスタッフと家族に支えられ、しっかりと守られ続けている

表参道のgoro’s(ゴローズ)は、髙橋 吾郎(たかはし ごろう)の夢やスピリットが詰まった店舗であり、40年以上の歴史を刻み続ける、世界でただ一つの空間

現在も、髙橋 吾郎(たかはし ごろう)のスピリットと出会えることを楽しみに、多くのファンが国内・海外から訪れている人も多い

表参道goro’sの始まり

表参道goro’s(ゴローズ)の始まりについて紹介する

貴重な経験をしたアメリカからの帰国後、1971年に髙橋 吾郎(たかはし ごろう)はショップを青山から原宿に移した

これがまさに、移り変わりが激しい表参道地区において、40年以上も高い人気を誇り続けるショップ、「原宿のgoro’s(ゴローズ)」のスタート

移転してからは、持ち帰った彫金の技術に加え、彼自身の独創的な感性によって、さらに洗練されたアイテムたちを生み出し続け人気を博していた

1987年にアトリエで発生した火災によって、全身のおよそ40%にも及ぶ大やけどを負ってしまう

幸い一命はとりとめたが、職人の生命線とも言える利き腕、右手を激しく損傷することとなった

普通であれば、そこで挫折しても不思議ではない負傷だったが、髙橋 吾郎(たかはし ごろう)は不屈の精神で、不自由な右手にハンマーを縛りつけて創作活動を再開

やがて1990年代の前半には、制作が追いつかないほどオーダーが殺到する人気の高まりを見せ、日本のシルバーアクセサリー業界で知らない者はいないほど不動の地位を築きあげた

その人気のほどは、当時、goro’s(ゴローズ)の人気アイテムを身につけて渋谷センター街を歩いていると強奪されてしまう「goro’s(ゴローズ)狩り」と呼ばれる嘆かわしい行為が横行したこともあった

残念ながら創立者である髙橋 吾郎(たかはし ごろう)は2013年に亡くなったが、彼が生み出した様々な造形や作品は、彼の感性、スピリット、人生そのもの

ショップの前には今もなお行列が途切れることのない、日本のトップシルバーブランドとして君臨し続けている

goro’s(ゴローズ)のアイテムは、goro’s(ゴローズ)原宿店以外のショップ以外で売られているアイテム全て非正規品となっている

公式のアイテムが欲しい場合は、goro’s(ゴローズ)原宿店原宿店購入することをオススメする

入店に関してのスケジュールは、goro’s(ゴローズ)の公式HPに掲載されていので、随時チェックしていただけると幸いだ

goro’sの楽しみ方とは

goro’s(ゴローズ)の楽しみ方を紹介する

希少性があるだけでなく、かなり高品質なため身につけ方によっては、かなりハイファッションを楽しむことができる

goro’s(ゴローズ)で購入したアクセサリーは、そのまま身に着けるだけでも十分におしゃれに着用することができる

愛用者の間では、複数のアイテムを組み合わせて自分だけのオリジナルアクセサリーを作る「カスタム」を楽しんでいる方も多くいるそうだ

中でもgoro’s(ゴローズ)の代名詞でもあるフェザーに革紐を使ってホイールと縛るカスタムは、シンプルながらも幅広い世代に人気があり、ビーズをプラスすれば、さらに個性を出すことができる

木村拓哉(きむら たくや)も独自のカスタムをして身に着けていることが多く、毎回カスタマイズのセンスの良さで注目を集めている

品質も確かな物で、身に着けているだけでワンランク上のスタイルが完成する、goro’s(ゴローズ)のアクセサリーを是非チェックしてみてはいかがだろうか